アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

腰痛からの復活 ( 親友H君に捧げる)

正月第一週のその日も、仕事が終わってからジムへ行きダンベルローイングという、片手をベンチに添え、もう片方の手でダンベルを引き付ける運動をしていた。
すると急に腰が痛くなった。どうやらいつもの筋肉痛と違うヤバさを感じたので、トレーニングを早々に切り上げる。筋トレをやっていると段々取り扱う重量が重くなっていく傾向というか中毒性があるので、知らず知らずのうちに、自分の体力の限界を超えたのかも知れない。
二三日でよくなればと思っていたが、痛みはなかなか治まらない。それどころか日を追うごとに痛くなり、身体をちょっと動かしても激痛が走るようになった。

正に紺屋の白袴だ。(スペイン語にも "En casa de herrero, cuchillo de palo". という諺があり、直訳すると「鍛冶屋の家に木のナイフ」で、自分の専門のことで手抜かりがないつもりでも、ふとしたミスを犯すという意味)。
普段偉そうに治療家を名乗っている人間が、正直何やこの様はとがっかりした。しかし自分の身体を使って痛みを実体験できる機会到来と考えると、全く意義のないことでもないか、と自分に言い聞かせた。

①翌日マッサージを試みた(それも荒っぽいやつ)が、その後もっと痛くなった。ぎっくり腰など急性腰痛の場合、筋肉の炎症が治まるのに48時間かかると言われているので、24時間以内に身体を捻ったりするのはやはり時期尚早だ。
急性期の腰痛患者には、い)患部を冷やすこと。 ろ)楽な姿勢で安静にすることが、最善な対応だと思う。
ではマッサージは効かないのかというと、そうではなく例えば患部の炎症を持たない鈍痛の場合などには大いに効果がある。要は施術を受ける時期が適しているかどうかの見極めが大切だということだ。

②低周波治療機器を毎日30分ほど患部に当てて様子を見たが、(小生の腰痛には)あまり効果がなかった。とはいえ発作的に500ドルで買ってしまったものなので、捨てるに捨てられない。そっと目の届かぬところにしまって、このピリピリマシーンが記憶の片隅から消えることを期待しよう。

③二週間経っても痛みが変わらないと、ひょっとして不治の病にでも罹ってしまったのではないかと疑心暗鬼に襲われ始めた。もう世の中全て鬱陶しくなった。太宰治になりそうだ。

④それでも三週間目に入ると、「そもそもこの身体の主人は誰かと言えば俺ではないか。脳みそを大本営とすれば、四肢や内臓等全身は従順な部隊でなければならない筈。それを腰の野郎が叛乱を起こしやがって」と腹が立ってきた。よしおっとり刀で反乱分子を征伐しよう。デッドリフトでガンガン痛めつけてやろうか。どうせ毎日痛いのだ。これ以上痛くなっても構うものか。という考えがムラムラと起こってきた(笑)。
そこで三週間ぶりにジムへ行きみっちり腰を痛めてやった。
すると、はっはっは、次の日から少し楽になったのだ。こうしてまた筋トレが復活し、徐々に元の生活習慣に戻っていった。


今回の腰痛は何やかんやと全快するのに1ヶ月かかったが、精神力(気の持ち方)は決して侮れないものであると再認識。
慢性腰痛の人は往々にして「自分は元々腰が弱いから」と口にするが、それは既に腰が痛いのが常態だと無意識に肯定していることになる。

巷には身体を動かせという健康論に満ち溢れていて、それ自体決して間違っていないとは思うが、最も重要視すべきことは、それプラス気をしっかり持つことに尽きる。

自分の腰痛と真正面から向き合った暑い暑いパラグアイの夏だった。

46℃は流石にキツい

成功の秘訣

治療成功の秘訣は何かと言われて「答えは他人に対する愛だ。愛を外にあらわせなかったら、人助けはできない」と、オステオパシー医ロバート・フルフォードは著書『いのちの輝き』の中で述べている。この場合愛を慈悲の心と言葉を置き換えてもよい。

〈治療家が愛に基づく信頼の態度で患者に接すると、患者も治療家に信頼で応えるようになる。そして両者の信頼関係が築かれると、患者が古い相念パターンー自分は具合が悪いーを破って、新しいパターン―自分はこれで治りそうだーを作り上げ治療プロセスが始まる〉この信頼関係を築くためには、初診での態度や表情、会話や問診のすすめかたが、重要であると。けだし至言。

しかしよく考えてみると、大概の治療家は技術を向上させる勉強はしているだろうし、痛みを抱える患者に対しても慈悲の心は持っている。にもかかわらず流行っている治療院もあれば、その一方そうでない所もある。経営や集客という面から考えると、もう一捻り何かが必要なのかも知れない。


今から28年前アスンシオンで整体院を開業した当初、さっぱり患者が来ず、ただ待っているだけの日々だった。3ヶ月ほどそういう状態が続いたある日、新聞で整体マッサージの広告を見つけたので行ってみた。セントロから少しはずれた場所にあった。

ドアを開けると治療室は暗く薄汚い。治療ベッドに至っては、うっすら埃が積もっているではないか。お化け屋敷かい?
他の患者がいる様子もなかったが、予約した時間から30分以上待たされた。挙げ句の果て"大先生"はサザエさんのような頭にヘアカーラーをつけたまま、スリップ一丁でお出ましだ。年配の女性だった。思わず「普通のマッサージを受けに来たのだが」と言ったのも、もしや売春宿がマッサージの名を騙ってやっている類いではないかと、一瞬思ったからである。

サザエさん先生の治療を目をつぶりながら受けていたら、急にドッカーン!!! よっしゃこれは勝てると確信したのだ(笑)。


早速経営方針を立て直した。具体的には····サザエさんの反対をすればいいのである。
①治療室内を掃除し、常に清潔感溢れる環境を保つ。
②時間厳守を徹底する。
③新聞広告やチラシは一切しない。以上。

①は当然と思うが、小汚ない場所で治療を受けたいなどという人はよほどの少数派だろう。

②はほとんどの病院等では時間予約はあってなきようなものなので、患者はひたすら待つしかない(今でもそうだが)。しかしこの現状に不満を抱く人は多数いる。そこで予約した時間通りに治療を開始する。ただそれだけ。この当たり前のサービスが大いに喜ばれることとなる。

③は新聞広告に載せるのは、そもそも流行っていないから載せるのだろうというひねくれた見方を、一部の者には与える可能性がある。つまり「わざわざ来てやったぞ」と勘違いする患者が増える確率あり。そんな野郎を治療するのは真っ平ごめんだ。こちとらマザー・テレサじゃないんだよ。
以後口コミ一本でやっていこう。

一言でいうと①②③は、リスペクトを最優先させたということだ。全く迷わなかった。『患者と治療家双方のリスペクトなくして繁栄なし』この信念が今日に至るまでの幸運を引き寄せたと思っている。

Bella Vista (Itapúa) 22-oct-2023

今まで過去を余り振り返らず突っ走ってきた。先日61歳の誕生日に柔道仲間と大酒を飲んだ翌日、昔のことをあれこれ考えていたら、ひょいとあのサザエさんを思い出したのである。

当然ながら自分一人では、ここまで来れなかった。妻をはじめ家族親族や友人知人の協力、そして小生の治療を信頼していただいた約八千名に及ぶ患者の皆さん、改めてありがとう。
サザエさん先生も、そういう意味では反面教師だった。

八月一日になると思い出す(元カノではありません)

40代前半までは、日曜日の朝はハルディン・ボタニコ(植物園)を走っていた。トレーニング仲間のJ君とは、現地集合八時と約束するが、この男時間通りに来たためしがない。まあ小生が遅刻することもたまにあるので、お互いさまだが。どちらかが5分待っても相手が現れない場合は、各自が勝手に始めようと決めていた。

園内にはジャングルを抜ける6~7キロのけもの道があった。起伏のある土道は、日光が密林に遮られて下まで届かず、ぬかるんだ箇所があちこちに残っているが、コンクリートと違って踏みしめると心地よい。走る森林浴なり(笑)。
変質者がそこら辺に潜んでいるという噂があり、女性ランナーに伴走を頼まれることもあった。それはお安いご用だが、実際に本物と遭遇したら٠٠٠実戦を兼ねたトレーニングになる。


2004年8月1日無事朝トレを終えた。変質者に会うこともなく、いつもと変わらぬ日曜日だった。午前11時25分までは。


天気の良い日だったので、庭で家族とアサド(南米式焼肉)をしていたら、一台の消防車がサイレンを鳴らしながら家の前の通りを突っ走っていった。時計は12時を回っていたはずだ。その後またもう一台、それからもう一台と、2~30分の間にひっきりなしに走っていくのだ。少なくとも30台以上の消防車や救急車が目の前を通りすぎた。

大きな火事がどこかで起きたのだろうか、案外近場かもと思いテレビをつけると、とあるスーパーマーケットの火災現場を実況中継していた。

それを観てハッと息を呑んだ。つい先ほどトレーニングが終わって、何か飲み物でも買いに入ろうと思ったが、直前に気が変わって入らなかった〈正にその場所〉が、燃えていたからだ。



今から19年前のイクア・ボラーニョス大火災、特筆すべきは火災発生と同時に、この店のオーナー親子が、ガードマンに命じて出入口のシャッターを閉じさせたという異常性だろう。その結果店内に閉じ込められた400名近くが焼死する、パラグアイ史上最悪の惨劇をもたらした。

詳細についてはインターネット等で知ることができるので省略するが、当時スーパーマーケット経営者の会合では、今回のケースのような偶発事故(ボヤとか)が起こった場合、すぐ出入口を閉めるという取り決めがあったそうだ。

仮に自分がその場にいたと想像しよう。店内のどこかから火の気が上がったので、さあ逃げろと思ったら、出口に鍵がかけられていて出られない、どんどん火は大きくなり、煙やガスが充満してくる٠٠٠٠いやはや考えただけで吐き気がする。


たとえ火事場泥棒を防ぐためとはいえ、それが故に人命を軽く扱ってもいい理屈にはならないという良識が、つい数十年前までのパラグアイでは希薄だったのだ。
さすがに今ではSNS の発達により、問題発言と見なされるとすぐにあちこちから叩かれるので、よほどの馬鹿でない限り、非常識な意見を公の場では控える傾向にあるものの(本心はいざ知らず)、そのことを差し引いたとしても、昨今のパラグアイ人の共通認識が、人の命にそれ相応の敬意を払うように目覚めたと感じる。
これこそエボリューションというやつだが、小生にはイクア・ボラーニョス大火災という苦い教訓が、その転機の一つになったような気がする。


2004年8月1日午前10時半頃、スーパー・イクア・ボラーニョスの一丁手前の信号待ちで、小生の車の横にバイクが並んだ。父親らしき若い男が前に乗って、その妻らしき女が後部座席に、子供二人は真ん中に挟まれていた。
信号が青に変わると、そのバイクは右折しすーっとスーパーの地下駐車場に入っていった。小生は直進し家路についた。
彼らがその後無事だったかどうか知る由はないが、八月一日になると〈あの四人乗りバイク〉が脳裏に浮かぶのだ。合掌。

怪我の功名

この時期のパラグアイは、朝夕は涼しく日中は暖かい、一年で最も過ごしやすい季節だと、個人的に思う。

先週の日曜日、近所の健康公園のベンチに座っていると、5~60代と思しき男性が横に座った。少し脚を引きずって歩いていたので、「股関節の痛み•••ですか」と尋ねた。
ちょっとした挨拶程度のつもりだったが、それがきっかけとなり小一時間話し込む。お互い「股関節」に関しては、一家言を持っていたのだ(笑)。


変形性股関節症という、大腿骨頭と骨盤の受け皿の間にある軟骨組織がすり減ることにより、股関節の可動性が制限される厄介な病気にかかったのは、40代後半だ。原因は分からないが、高校時代柔道の稽古中に、先輩の払い巻き込みをくらい股関節を捻ったことが数度あったから、それが関係していたのかも知れない。

無理して歩くと、股関節周囲の炎症が悪化して痛かった。
数年にわたり様々な対症療法を試みたが、さほど効果がなかったので、50代前半は「面白きこともなき世を面白く」なく、悶々と暗い日々を過ごしていたものである。
だがある日、このまま痛みに耐えつつ、めそめそ泣いて残りの余生を送るのはごめんだ、と吹っ切れたので、人工股関節置換手術を受けることに決めたのだ。

長年苦しんだ末の決断だったこともあり、一片の迷いもなかった。本格的な手術で入院したのは、我が人生でこの時だけだ。

2017年6月17日 アスンシオン。



今では、痛みもなく普通に生活しているし、筋トレも毎日こなせるようになった。ありがとう、現代医学。

大きな決断をする前は、その結果たとえ吉と出ようが、凶と出ようが、どちらでも本望だという境地に辿り着くまで、とことん悩む。それからゴーサインを出す。すると大概のことは上手くいくものである。

霜鳥之彦【魚】 製作年:不明

『徒然草』の中に、「友とするに悪き者」の一つとして「病無く身強き人」が挙げられているのが、興味深い。
確かにやたら健康で能天気な人と一緒にいると、「こいつには人の身体や心の痛みは分からないだろうな」と砂を噛むような思いをすることがあるものだ。その反対に、持病の関節リウマチの痛み具合で、翌日の雨降りを予知できる、などというような人とはやたら馬が合ったりして(笑)。

まあ同病相憐れむというやつだが、自分が長い間苦しみを味わったからこそ、他人の痛みも共感できるようになった、いわば〈怪我の功名〉だ。そうであるならば、長年股関節痛で苦しんだのも、無駄ではなかったと言えなくもないかと、最近になって思うのである。


とここまで書いてきて急に思い出した。そういえば赤ん坊の頃にも入院したことがあったのだ。
今を去ること60年前、急性肺炎で京大病院に担ぎ込まれた。なにぶん生後2ヶ月なので、さっぱり覚えていないが、担当医が母に「(赤ちゃんは)今夜が峠なので覚悟しておいて下さい」と言うほど、緊迫した事態にあったようだ。

おまけに集中治療室の天井板が、自分が寝かされていた保育器のすぐ横に落下したとか。もし仮に数十センチの違いで自分の上に落ちていれば、それこそお陀仏になっていたところだ(泣)。今日であれば管理不行き届きとして、病院側が訴えられそうな出来事だが、当時は「おお、無事で良かった」で一件落着。はっはっは。

1962年12月31日 京都。



強い星の下に生まれたことに感謝しつつ、2023年の後半も「悠々として急げ」と我が道を進んでいきましょうか。

川内高城(せんだいたき)温泉

2023年は正月二日から、意欲的に仕事に打ち込んだ。

連日40度近いパラグアイの猛暑の中、それほど疲れを感じることなく、施療に専念できた要因のひとつは、昨年度末に日本を訪れた際、湯治をしたからだと思う。


〈関節痛によく効く秘湯〉というテーマでネット探索していたら、あっこれだという場所を見つけたので、早速鹿児島の川内高城(せんだいたき)温泉へ行った。

アブノーマルな構図ではありません

当日の宿はまだ決めていなかったから、駅前の公衆電話から電話すると、一軒目は「今日は満室」とすげなく断られた。二軒目は不通だった。三軒目も電話の応答なし。

駅の案内所でもらった観光パンフレットには温泉宿の電話番号がその三軒しか記載されていなかったので、さてどうするか。
やはり前もってスマホで予約すべきだったかなと思ったが、いや宿が取れなければ取れないで、別に野垂れ死にする訳でもなし、何とかなるわと気持ちを切り替え、タクシーで現地へ向かったのだ。
「お客さん、どちらから ?」「パラグアイから」「ほー遠か所から来たね」「うむ確かに(笑)」。


薩摩川内駅から車で2~30分山奥へ入った所に、その温泉はあった。
電話が繋がらなかった件の宿に行くと、「ああ、先ほど電話をかけてもろうたのは、お宅さんでしたか」と言われた。
おばさんいはくタッチの差で呼び出し音が切れたとか。はっはっは。

「三日ほど泊まりたいのですが」というと、「素泊まりでよければ」とのこと。
実は小生自炊するのが億劫だが、この集落内には酒屋と駄菓子屋があるそうなので、食料はそこで調達すればいいだろう。よしOK。


さて実際この温泉宿に泊まって、気にいった点は、
①泉質の良さ
②人の少なさ
である。

①は湯平(大分県)、温泉津(島根県)、湯田(山口県)等の有名温泉と比べて、何ら遜色がないどころか、はるかに凌駕している。
すぐ近くまで迫る山並みを見ながら、硫黄臭をたっぷり含んだ、トロリとした肌触りの湯に浸かる。あの西郷さんの疑似体験をしているかと思うと、感慨深い(輝彦ではなく隆盛の方、念のため)。
おかげさまで慢性的な指のこわばりやあちこちの関節痛が、すっかり良くなった。

②はポツポツとやって来る温泉利用者は、ほぼ95%地元の人である。湯布院や黒川のように観光客やミーハーの集団が、ものの見事にいなかったので、心底ほっこりできた。
元々温泉とは、地域共同体の人々の疲れを癒す場であっただろうことを考えると、川内高城温泉は由緒正しい温泉の在り方を今日まで引き継いでいる、偉い!と言えなくもない。

頑張れ ! 川内高城温泉 !

高城温泉のメインストリート

誰も言わない「オールインクルーシブを100倍楽しむ法」

九月下旬から十月上旬にかけてメキシコのカンクンへ行った。三年ぶりの家族旅行だ。

カリブ海の日の出

カンクンといえばオールインクルーシブ。その中でもピンからキリまであるそうだが、今回は諸事情により〈大人専用〉ピンの方へ行った。

プライベートビーチのデッキチェアに寝転んで酒を飲み、身体が火照ると、海で泳ぐ。眼前のカリブ海はこの時期海藻が多かったが、まあ仕方ない。
最新式マシンを装備したジムでトレーニングした後は、ジュースバーで緑色のジュース(いかにもビタミンC がありそうだ)を飲み干し、ホテル内に数ヶ所あるレストランで新鮮な魚介料理や南米風ステーキに舌鼓を打つ。
どの料理も美味しかった。それがいつでも食べたい時に食べられるのである。スタッフのキビキビした働きぶり、フレンドリーな接客にも感心したものだ。

このような「漂えど沈まず〈トレーニング→飲み食う→遊ぶ〉」生活を一週間繰り返した。

一週間も居たら飽きただろうって?
いや全く飽きない。それどころか更にもう二週間延長したかった位だ。


オールインクルーシブとは〈旅行代金にホテル内での飲食や施設の利用料金が含まれているので、宿泊中の出費を気にすることなくホテルライフを楽しむ〉サービスだが、本当に滞在中一銭も出さなくていいのだろうか。

上記の自問自答は、これといった結論を出すこともなく、何となく今日にまで至ったテーマだ。それがどうしたと言われても、いや別にとしか言いようがないのだが。さて。


学生時代、京都松尾大社の団子屋でアルバイトをしていた。そこは立命館大学柔道部の松野先輩の店だったからだ。日曜日や祭日の忙しい時は、柔道部員の一、ニ回生は助っ人として駆り出されるのだ。

たまにヤクザが若い衆を連れて、団子を食いに来ることがあった。その帰り際親分が「兄ちゃん、コーヒーでも飲めや」と千円札をくれるのである。異様に張り詰めた空気の中で、嬉しさを隠せず、口元がニヤニヤしてしまう何とも言えない時空間だった。

その情景を、それもカンクンへ行く前日に思い出したので、果たしてこれは小生もあの親分のように振る舞え、というお告げのようなものだろうか ?と気になった。

いちいちそんなことで悩むのも詮無きことだが、結局短パンのポケットに一ドルの札束を入れておき、旅行中は有難うと思った時に躊躇することなく、かつさりげなくチップを渡すよう心掛けた。

Playa Mujeres

その結果どうだったか? 

①自分の気持ちに余裕が生まれ、心底旅行を満喫した。この心境こそが、長年自分の追い求めていたものだった(ちょっと大袈裟かな)。

②ホテル滞在2,3日目から我々に対する「おもてなし」が、明らかにグレードアップされ始めた。

例えば VIPスイートルーム専用の備品(スイスの高級メーカーチョコレートとか、フランスのコニャックとか)を「内緒にしといてね」と我々の部屋に置いてくれたり、日本料理レストランへ行くと、メニューにはない船盛りの寿司サービスを受け、周囲のテーブルの羨ましそうな視線を一斉に浴びたものだ。

ホテルで働く人達は、きっと客の情報をお互い共有するのだろうと思う。「○○号室の客は、見かけは金持ち風だが、その実しみったれた奴」とか「○○号室の東洋人の紳士、やたら気前がいいが、パラグアイのさぞかし偉い武道家に違いない」とか。たぶん(笑)。


一言アドバイス)  カンクンのオールインクルーシブをより満喫したいのであれば、気前よくチップを放出する方が、色々相乗効果を生み、もっと楽しく過ごせる。正に「金は天下の回りもの」である。

しかしあなたが「それではオールインクルーシブの意味がないではないか。俺はびた一文チップなどやるか」という信念を貫き通されても、それはそれでいいのでは。
まあ好きにやって下さい。

うまい話には裏がある

そもそもブログを始めた理由は、以前から何か文章を書いてみたいという思いがあったからだ。2020年、新型コロナの流行に伴い、仕事が休業状態となり、その結果自由時間が大幅に増えたので、これ幸いと始めた訳である。

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」(土佐日記)の心境だったのかも。

先月ある読者からメールをいただいた。「八幡太郎氏のブログは、物事を独特の視点で捉えているところがよい。それは数十年にわたる海外生活を経て、酸いも甘いも噛み分けた一つの境地にたどり着いたからこそ、見えてくる視点だと推測する。最近更新が途絶えているが、読んで元気がもらえるので次号が待ち遠しい(原文まま)」とあった。

これほど褒められたのは、瀬棚中学作文コンクールに入賞した時、関口先生に「この調子で頑張ったら芥川賞もいける」と言われて以来の光栄なので、「ふんどしを引き締めます」と即返信。書きたいというテーマがなかったのもあるが、忙しさにかまけてコロッと忘れていたのだ。

目の錯覚ではありません

四、五日前に自閉スペクトラム障害(ASD)を持った患者が来た。若い女性で腰が痛いとのこと。
ふとネットフリックスで配信中の韓国ドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』が頭に浮かんだ。というのも主人公ウ・ヨンウはASDを持つ新米弁護士という設定だからだ。NHK 『ちむどんどん』より数十倍面白い。超おすすめである。

現時点でもASD発症の原因は分かっておらず、脳の構造や機能障害によるものと考えられている。
整体で対処できる症状ではないが、少しでも患者の緊張を解きほぐすことは出来ないかと、自分の研究テーマでもある頭蓋仙骨療法を試みた。

案の定頭蓋骨に触れるとカチカチに硬い。
頭蓋骨は固くて当たり前じゃないかと思われるだろうが、健常者の頭蓋骨は触ってもごく僅かな弾力を感じる。それに対して精神的疾患やASDを持った人の多くは、異様に固い頭をしているのだ。

その硬くなった部分を手技で緩め、脳脊髄液の循環を促進させることにより健康を回復させようという狙いだが、勿論一時間やそこらしたからといって、急に症状が好転することはまずない。
そのせいか大概この治療の後には、もどかしい疲労が残るのだが、その反面、人体はそう一筋縄にはいくものではないという、当然の理を目の当たりにして謙虚な気持ちになる。

ASDの特徴の一つとして、他人に身体を触られるのが苦手な人もいるが、治療後「先生の治療は安心して受けることができた」と患者に言われたのは、嬉しかった。腰の痛みもよくなったというので、取り敢えず一件落着。



そういえば昔ASDの子供たちを連れて、二泊三日のキャンプに行った。大学四回生の夏休みだった。
自閉症児をサポートするサークルに所属していた高田君から「急用ができたので、代わりに行ってくれ」と頼まれたのだ。
「○○女子大生と同じテントで二泊三日やで」と言われて「よし、行く」と承知した(笑)。

キャンプ場ではテントの設営をしたり、焚き火用の薪を拾ったり、子供たちと遊んだりで汗だくになった。京都のあちこちの学生からなるボランティアサークルで、男女合わせて15~6名のメンバーだったと記憶している。
本当は小生アウトドアが嫌いなので、シャワーもない山奥での三日間のキャンプを安易に引き受けてしまったのは、ちょっと失敗したかなと思った。

夕食後の自由時間に小川で水浴びすると生き返ったように気持ちよかったことや、日本中の銀行名を片っ端から淀みなく言う少年を見て驚いたことは、今でも記憶に残っている。

肝心の〈同じテント〉はどうだったかって? 江戸時代の五人組を彷彿させるガチガチな相互監視の元、夜は男女別々のテントで休んだ。まあ冷静に考えると、高田発言は眉唾物だろうと最初から気づくべきではあったが。


後日高田君にその旨抗議すると、「(ポリエステル製か布製か忘れたが、その生地が)同じテントと言ったけど、同じテントの中とは言うてへんで」と言われた。

はっはっは、それは詭弁だろう。一本取られました。