アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

卒業式

 NHK のあさイチで、ある小学校の卒業式を扱ったルポを観た。パラグアイでもケーブルテレビで、NHK を視聴する事は可能である。

 新型コロナの影響を受けて、卒業式の規模縮小を余儀なくされたが、創意工夫を凝らし、何とか無事やり遂げることが出来たという内容だったと思う。

 だが見終わって何か違和感を感じた。本来は「それは良かった。おめでとう」と言うべきなのだろうが、どうもピントがずれている気がしたのだ。

「卒業式は大切だが、生きるか死ぬかの問題には変えられないので、仕方ない。 皆さんも残念だろうが、今年はスパッと中止しよう」
 こういう至極真っ当と思われる意見が、校長先生等トップに立つ者から出るのではと思ったが、なかったからだ。

 まだ余り感染が拡がっておらず、子供達に寂しい思い(?)をさせたくないからか。 それとも「卒業式をしない」という選択は、彼らにとって「敗北」を意味するのか。

 いやそうではないだろう。必ず出てくる反対意見や批判に対して、自分の発言の責任を負うのが嫌なので「今回は中止しましょう」と、誰も言えなかったのではないか。

 確かに揚げ足を取ってやろうと、手ぐすね引いて待っている、匿名評論家にも困ったものだが、
 「自分の発言は何があっても責任を持つ」
 「行いは己のもの。批判は他人のもの。知ったことではない(勝海舟)」
 上に立つ人物で、この覚悟の欠けている者が、世界中のありとあらゆるところで、目立つようになってきた気がする(まあ、以前からいたのだろうけど)。

 はるか昔、卒業式の予行練習中にガムをクチャクチャ噛んでいたら、生活指導のワタナベ某に見つかり、往復ビンタを食らったことを思い出した。
 私は権力を笠に着て威張る奴は大嫌いなので、ニヤッと笑い返したら、更にもう一往復来た(泣)。

 この鬼軍曹にしばかれたことがきっかけで、柔道を稽古し、強くなってやろうと決心したので、正しく反面教師であるが(笑)。

 未だに卒業式や表彰式など、しゃちほこ張ったセレモニーが苦手なのは、その時のトラウマではないかと思っている。

 はて、どこから脱線したのか?

 ここ1ヶ月に渡る外出禁止で、知らず知らずのうちに、ストレスが溜まり、イライラしている(?) のかも知れない。

 小野田さんは、ルバング島における29年間の逃亡生活中でも、規則正しい生活を心掛け、今日が何月何日何曜日であるか忘れないよう心掛けたという。
 それに比べればこの外出制限など、まだまだ序ノ口だ。
 この一週間でテレビの論調は、益々、大政翼賛会みたいになりつつあるが、自分はもっとリラックスしよう。

 とりあえずテレビのスイッチを切り、昼寝でもするか(笑)。

 皆様もどうぞ御自愛下さい。

「朝の来ない夜は無い」 吉川英治