2008年8月ペルーのマチュピチュへ行った時のこと。飛行機の乗り継ぎでボリビアのサンタクルスで一泊することとなった。
アスンシオンからサンタクルス迄約一時間半のフライトである。
夜遅くサンタクルス・ビルビル国際空港に着き、税関の張り紙を見ると「○月○日からボリビア全土において2003年発行かつ記番号のアルファベットがDで始まる100米ドル紙幣を取り扱わない」とあった。
嫌な予感がして財布を覗いたら、所持金全てこれに該当していた(泣)。
税関吏曰く南米各地で上記の偽札が出回っておりその対抗策として取られた処置だとか。
今から考えればクレジットカードのキャッシングを使うなり何なりの対処法はあったと思うが、当時はそういう事を知らなかったのでビビってしまった。
翌朝ペルーへ行くので特に今ボリビアの現地通貨に両替できなくても問題はないが、ペルーでも同様の措置が取られていたらどうしようかと思ったのだ。
航空会社Aerosur の送迎車で市内のホテルへ向かったが、サンタクルスの街の印象は殆ど覚えていない。夜でよく見えなかったし既に心ここに有らずだったのだろう。
ベッドに横になっても中々寝付けなかったが、いつしか眠ってしまった。
「まあ何とかなるわ」
翌朝また空港に戻った。午前中の便でサンタクルスからペルーのクスコへ向かうのだ。
件のドル札で空港税を払った。裏を向けて出そうかと思ったが、ここは正攻法の方が良いだろうと考え直した。
空港職員氏は何気ない顔して受け取りニヤッと笑った。袖の下を要求されることも、お金を拒否されることもなかった。
念の為お釣りを貰うや否やその場を走り去ったけど(笑)。
この飛行機は直行便なのだが、ボリビアの首都ラパスで足止めを食らった。到着地クスコ付近の視界が悪いので着陸できないのだとか。
ラパスのエル・アルト国際空港の待合室で座っていると、心臓がドキドキしてきた。話には聞いていたが、この空港は標高4000メートルを超す高地にあるので空気が薄く呼吸するのが苦しい。
それにしてもエル・アルトとはそのものズバリの命名である(スペイン語で「高地」の意味)。
目の前に座っていたご婦人がどうも危なそうだと見ていたら、本当にバタッと床に崩れ落ちてしまった。すると待合室のあちこちで他の人達も連鎖反応のように倒れだした。うわぁ。
救急隊員が慣れた様子で酸素ボンベを倒れた人の口につけている。日常茶飯事なのだろうな。
しかしここに居続けるのはどうもヤバそうなので、空港の外に出てタクシーをつかまえ「もっと酸素の有るところへ行きたいのだが」と言った。
すると「チチカカ湖まで案内しようか」と呑気なことを言われたが、当方今にもぶっ倒れそうなので、セントロへ行ってもらった。途中走っている人を見かけた(4000メートルだよ)。
ラパスのセントロはすり鉢状の底にあたり、空港に比べると低地にある(といっても海抜3600メートル。ちなみにパラグアイ・アスンシオンは海抜53メートル)。
この市内観光を兼ねた逃避行で気が紛れたのかかなり呼吸が楽になった。とにかくラパスでのトランジット八時間は苦行以外のなにものでもなかった。
結論から言うと、ペルーでは問題なく両替できた。そして世界中から観光客で溢れるインカの古都クスコやマチュピチュをしっかり堪能した。
だが今振り返ると何故か余り記憶に残っていないのだ。確かにワイナピチュから見たマチュピチュは素晴らしかったし、カミソリ刃一枚も通さない古代インカの建築技術には驚かされたが。
今でもよく思い出すのはサンタクルスで空港税を受け取ったおっさんのポーカーフェイスや、ラパス空港とセントロを結ぶ坂道でダッシュをしていたランニングシャツ姿の親父、ラパスの名所を色々案内してくれたタクシー運転手レイナルド君のことである(勿論そっちの気はありません)。