アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

もっと相手を認めよう

 パラグアイでは11月末からマスク着用を義務づける法令が施行された。
 どうやらコロナの勢いはとどまる所を知らず、外出時にマスク無しだと罰金を取られるようになってしまった(泣)。

f:id:spqr020220:20201201225359j:plain
Sendero al lado del P. Ñu Guazú para biciclos

『 生とは、死とは』という瀬戸内寂聴氏と堀江貴文氏の対談集を読んだ。
 初っ端から両者の話が噛み合わず、どっちもどっちだなと、少し興醒めしながら頁を捲っていたが「朝の通勤電車内で座って化粧している女性に対してどう思うか」というテーマが目に留まった。

 瀬戸内氏は「許せない」派で、そういう女は周りの迷惑を考えていないとか、人前で(他人が)口紅を塗る(のを見る)気持ち悪さをあげて、自説の正当性を強調するのだが、一方堀江氏は笛吹けども踊らず「迷惑だと思います? 他人のする事などどうでもいい。むしろ、なんでそんなことを気にするのか」と全く話に乗ってこないのが、面白かったのだ。
 
 「この人(堀江のこと)やっぱり変わっているよ。ホリエモンを標準にしたらダメだと思う(笑)」(瀬戸内)
 「変わってますか?でも僕くらい気にしないと、楽ですよ。めちゃくちゃ楽ですよ。他人が電車の中で化粧しているのとかを気にする人生って、すごい大変だと思います」(堀江)と、そのまま平行線を辿った。

 実は私も堀江氏と同意見なので、久々に同志に巡り会えたような気がした(笑)。
 

 それと如何に仏門の修行を積んだとて「三つ子の魂百まで」の如く、人間が持っている煩悩というかドロドロした感情は簡単には消え去らず、ある意味死ぬまで引きずって生きていくのだなと、当たり前だが瀬戸内氏の発言でふと気付かされたのである。
 決して彼女を揶揄しているのではない。別に敬愛の念は持たないが、その考え方や人格を否定するものではない。

 少し考えればちょっとやそこらの修業で、皆が皆マザーテレサや弘法大師になったとしたら、その方がよっぽど不自然ではないか。
 

 話は飛躍するが、近頃自分と異なる意見に対する反論の仕方で〈下品なトランプ流〉が、あたかも市民権を得たかのように罷り通っているのは、本当に嘆かわしいことだ。

 ネット上で匿名で吠えている輩に特に見られるのだが、相手に対する敬意や寛容は一切なく、それこそ鬼の首を取ったような揚げ足取りや感情論だけで捲し立てている。

 この手の輩にはどう対処すればよいのか?

 それはあなたが手にしているスマホやパソコンを、叩き壊せばよいだけだが(真に受けて本当にやらないように ! )、まあそういった連中とは同じ土俵に立たぬよう、普段から心して一線を引こう。

 何となく長州力の「跨ぐな。跨ぐなよ」のシーンを彷彿させるが(笑)。