アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

何故整体師になったのか

 パラグアイのアスンシオンで、整体治療に携わり25年以上経つ。

 そもそもこの仕事を志したきっかけは、20代後半パラグアイに住もうと決めたので、それでは何か手に職をつけなければと色々考えた末選んだものだ。
 先ずサラリーマンは没。組織の一員としてチームワークを要する仕事は、どうも向いていないことが身にしみて分かっていたからである。
 では商売はどうかと言うと、これも相手が虫の好かぬ奴だともろに顔に出る質なので「士族の商法」となってしまいそうだ。よってこれも没。

 そこでふと頭に浮かんだのが〈整体師又はカイロプラクター〉であった。星座占いでチェックすると、さそり座は医療若しくは癒し関係に向くとか(笑)。
 妻に相談すると「それはいい。絶対その道で成功するわ」と言われた。

f:id:spqr020220:20201209044630j:plain
Parque Guasu

 早速あちこちの学校からパンフレットを取り寄せて検討した。その中で仕事と両立できそうな学校が大阪にあったのだ。

 当時朝三時半から十一時半まで京都中央卸売り市場で働いていたので、午後からの授業があるところを探したら、村上整体専門学校が最適だったのである。

 十一時半に仕事を上がり自宅アパートまで走って一分、シャワーを浴び、昼飯を掻き込み、丹波口駅12時10分発のJR山陰線で大阪の福島まで二年半通ったものだ。
 魚屋の山口社長の理解や女房の内助の功がなければ、仕事と勉強の両立は難しかっただろう。今は亡き三田尻の祖母には、京都大阪間の定期代の金銭援助を受けた。
 本当に有難いことである。

 自分で言うのも何だが、あの数年間ほど一心不乱に勉強した時期はそれまでの人生になかったように思う。何せこれで食っていこうと決めたので、相当気合いを入れて勉強したのだ。

 電車内でも一秒でも惜しんで教科書を読んでいたので、隣に座っている人が化粧しようが、鼻くそをほじって舐めようが、全く気にならなかった。

 「解剖学の先生が『去年京都から通っていた学生さんで、とても熱心な人がいましたな~』と言ってましたよ。河村さんのことですね」この大谷さん(一年後輩)との会話を何故か覚えている。
 ああやっぱり見てくれている人はいるのだなと、少し誇らしかった。


 さて約三十年、様々な試行錯誤を重ねながら整体治療に従事してきたのだが、常に順風満帆だった訳では勿論ない。

 患者にこの前の治療は全然効かなかったと言われたり、予約を勝手にすっぽかされたり、常識の欠けた野郎をいやいや診なければならない時とか、もう辞めようと何度思ったことか(泣)。

 しかしそういう時でも
①玄関に塩を撒く。
②治療所の掃除をする。
③占筮を執る。
④腹を括る。
 この①から④の儀式でネガティブな波動を断ち切ると、又新たに挑戦しようかという気になった。

 よく考えると今日迄その繰り返しだったが、それは心の何処かではこの仕事が好きで、自分に向いていたからであろう。