アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

治療の心得を考える

 「他のカイロプラクティックへ行ったが改善が見られないので、当院へ来た」という患者が暫く続いた。つまり近年パラグアイでもカイロプラクターが増えつつあるということである。
 そう言えばインターネットで検索して来る人も多い。昔は口コミで来る人が殆どだったが、今はそういう時代なのだろう。
 思えば2~30年前当地でのカイロプラクティックやオステオパシーの認知度は低かった。「ほう、それはマッサージの一種ですか ? 」というような感じだった。


 「おたくの治療費はメルカード・クアトロの韓国マッサージ料金の三倍だ。ふざけるな」と電話でいちゃもんをつけられたことがあった。
 開業当時、全く面識のない人物からであった。そもそもこの人はカイロプラクティック治療を受けたことはなかったようだが、私も彼の言うマッサージがいかなるものか知らないので、比較のしようがなかった。
 だが何よりもこのネトウヨの走りみたいなオタクに、理不尽な言いがかりで小生の貴重な時間を潰された上、こちらが非を認めたと勘違いされても困るので、「値段が高いと思えば、単に行かなければいいだけの話だと思うのだが····」と言ったら、おっさん更にブチキレた。

 もし仮にまともな人に理に適った非難をされたら反省するだろうが、ネアンデルタール人に喚かれても、別に痛くも痒くもない。以上余談である。
 

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Parque Guasu Metropolitano

 駆け出しの頃は、前述のようなことを言われると「もし痛みを治せなければ当方の株が下がる。ひいては食い扶持が減る。これは参ったな」という思考回路が働いたものである。
 実力不足のせいで気持ちの余裕が無かったからだが、その内に気づいたのは、患者側も治療師に気合いを込めてやってほしいと思うあまりに「どこへ行っても治らなかった」と言ってプレッシャーをかける場合もあるということだ。

 だからそれ程真に受ける必要はないと言うと言い過ぎだが、そう言われても淡々と平常心で治療をする方が、結果上手くいくことが多い。

 もう一つ「1ヶ月前ぎっくり腰になり、○○の△△へ行ったら、一発で治った。今回の痛みもそれと全く同じだ」という別バージョンもそうだ。
 だが患者たるもの、こういう言い方はしない方がよい。「それならば又○○の△△へ行けばいいではないか。こやつ単細胞の割りにあざとい奴だな」と治療する側に思われて、精々治療意欲が削がれるのが関の山だからだ。
 「1ヶ月前も同様の痛みを○○の△△で治したが、今回はこちらの治療を受けてみたい」と素直に言えば済むことである。

 自分の性格は結構人の好き嫌いがはっきりしていて、こいつは嫌だなと思った相手は、けんもほろろに突き放してしまうところがあるが、それでもその人間の弱点や痛みに対しては、容赦する方だと思う。

 それゆえやむにやまれず虫の好かぬ相手でも治療することがある。息が詰まりそうな居心地の悪い空間と時間を彼(彼女)と共有するわけだが。
 ところが奴さん治療が終わると「だいぶ痛みが楽になった。今度いつ来ようか、先生」と呑気に言うのだ。
 それに対して「もう来るな」では流石に角が立つので、「取り敢えず一週間様子を見て、痛みが残っているようだったら又やろう」と言わざるを得ない(泣)。
 
 何となく「敵に塩を送る」上杉謙信公を彷彿させるやり取りではあるが、もしかすると自分の前世は謙信だったのかも知れないと思う今日この頃だ(冗談ですが)。