アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

好きこそ物の上手なれ

 東京で就職して一年経ったある日、親友H君が目白のアパートへ遊びに来たので、腕相撲で軽くひねってやろうと思ったが、思いもよらず苦戦を強いられた。

 それまでガンガントレーニングをしていた人間が急にやめると、筋力はかえって一般人よりも落ちてしまうという残酷な現実を目の当たりにしたショックで、その晩眠れなかった。


 本当にやりたいことは別にあるのでは?自分の一生は限りがあるのに、無為に日々を過ごしてよいものだろうか ?

 仕事が面白くなく悩んでいたが、このハプニングは僥倖だった。というのもこれがきっかけとなり会社を辞める決心がついたからだ。
 重い岩か何かを動かすとき、それがいよいよ動く瞬間は指一つだけで可能なように、あの腕相撲は最後の一押しだったと思う。平野大兄有難う。

 この決断こそが、それまであまり冴えなかった人生が、少しずつ追い風を受け快進撃が始まる転機だった。(「腕相撲の勝ち方が納得がいかなかったから会社を辞める」と上司に告げると、流石に私の人格を疑われかねないので「南米へ行ってチェ・ゲバラになります」と言ったら「チェ何とか、って何や?」と言われたっけ) 

 退職前に海外青年協力隊の試験に受かっていたが、もっと身体を鍛え直して最高のコンディションに仕上げなればだめだと思ったので、早速京都へ戻り栗村先生に「京都府警で稽古させてください」と挨拶かたがたお願いした。

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Parque de la salud

 当時の京都府警は旧武専の伝統を受け継いでいるせいか、厳しい練習で有名であった。彼ら特練隊員は柔道のセミプロである。

 足腰が立たなくなるまで相手を引きずり回したり、締め技がきまって「参った」の合図をしても落とす(締め技で相手を失神させること)まで手を緩めなかったりすることがざらにあったので、学生の頃は京都府警に出稽古で行くときは、京阪の伏見稲荷駅に近づいただけでもう、パブロフの犬よろしく気が滅入ったものだ。

 何故京都府警詣でという突拍子もないことを考えついたのか。それは母校での練習だとつい先輩風を吹かせて、限界まで追い込む稽古をするのは難しいと思ったからである。あえていばらの道を選んだ。

 〈朝ランニング→京都府警→夜体育館〉と、強化合宿みたいなスケジュールを脇目も振らずにこなした。まだ25歳と若かったので何とかやり遂げることができたのだろう。

 あれほど毛嫌いしていた京都府警だが自分の意志で通い始めるとそれほど苦にならなかった。毎日の猛稽古で、全日本クラスの人には相変わらず赤子のようにあしらわれていたが、中堅クラスとはどっこいどっこいどころか、かえって自分の方が強くなったと実感できたのは大いに自信となった。

 栗村先生に「お前の柔道やったら南米へ行っても大丈夫」と言われたのもこの時だ。その年の秋には長野県で協力隊の研修があったので、このストイックなトレーニングは3か月で終わったが、自分からすすんで汗と涙を流した貴重な時間は、その後の己の血となり肉となった。


 普段私は「皆さんどうぞ勝手にやってください」主義で、他人にどうこう言うタイプではないが、それでも若い人に真摯に尋ねられると「今やりたいことをしたらいい。迷ったら思いきって困難な道を選んだ方が、後で後悔しないから」と確信を持って言うのは、以上の原体験があるからだと思う。


「好きこそ物の上手なれ」正に言い得て妙なり。