アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

隣家の木

 隣家の庭に大木がそびえ立っており、その枝が我が家の屋根の上まで覆い被さっている。

 嘗てその落葉が我家の雨樋に詰まり、壊れたことがあった。
 そこで「これこれしかじかで樋が壊れたので、直さなければならない。お宅の木の管理不十分が原因なので、修理代はそちらが持ってくれ」と文句を言いに行った。
 すると隣人いはく「元々あんたの家の樋自体が弱かったという可能性もあるんじゃないか」と。
 戯けた奴だが、私は昔からこういう水掛け論では全く熱くならない。却って冷静沈着となり、丹田からエネルギーすら湧いてくる程だ。
 それは宿曜経の氐宿がなす業かも(意味の分からない方はとばして読んで下さい)。

 私がカチンときたのは「うちの家内はエコロジスト(自然環境の保護を唱える人)なので木を切りたくない」とふざけたことを言ったからである。それはエコロジストではなくエゴイストやろ。
 まあ数年前のことだ。
 
 さて先日の大雨で、家の中にまで雨漏りするようになり、大工に屋根に登って見てもらった。どうやら又隣家の枝が伸び、今度はうちの屋根瓦を壊したようである。

 その時ちょうど塀の反対側で、隣人が聞き耳を立てていたので、
 「今回は証拠写真をバッチリ撮ったので訴訟に訴えよう。もうあいつらには堪忍袋の緒が切れた! 幸い弁護士の知り合いはなんぼでもいるので、最低でも3000ドルは取ってやらんと気が治まらぬ」
 と棟梁にネタを振った(ごく自然な会話を装い、且つ塀の向こうにも聞こえるようにするのがポイント)。
 すると彼も役者で(笑)「パトロン、貴方は人が好すぎる。これ程の損害だと5000ドルは貰わないと。裁判に持ち込めば絶対勝てるよ」と返してきた。

 それから5日後、何とあの大木が根こそぎ切られていた(笑)。どうやら隣人は訴えられるのを怖れて先手を打ったようである。
 先ずは一件落着。

 南米では、自己主張しなければストレスが溜まりやっていけない。
 日本のように相手が察してくれるのを待つ文化は無く、せいぜいチキンと舐められるのがオチである。

 勿論段階を踏んで少しずつトーンを上げていくというのは、万国共通の喧嘩のやり方で、いきなりキレては駄目だ。

 それ故何と殺伐とした社会かと思われるかも知れないが、その反面例えば集団による弱者イジメや、その被害者が自死する等悲惨なニュースは余り聞かないのでどこかでバランスは取れているのだろう。