アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

藤田公郎さんを偲ぶ

 日頃心掛けていることに、「自分より下位の人にも丁寧な口調で話す」と、「小さな商売人の言い値を値切らない(北海道の正人叔父いわく河村家の家訓でもあるとか)」がある。
 ここで言う下位の人とは、例えば客と店員や、上司と部下の間で生じる関係のことだ。

 1995年4月、開業を1ヶ月後に控えた或る日「JICA 藤田総裁が南米視察中で、アスンシオンに居るのだが、今晩出張治療してもらえないか」と電話があった。

 当方断る理由もないので、二つ返事で引き受けた。その夜セントロにあるホテルエクセルシオールのスイートルームへ伺った。

 さてどういう治療をしたかは覚えていない。失礼ながら今となっては顔すら思い出せないのだ。にも拘らずある情景が、はっきりと脳裏に浮かんでくる。

 それは私のような駆け出しに対しても、藤田さんはとても礼儀正しい話し方をされる人であった、ということと、
 治療費を頂く際「30ドルです」と言ったら即座に「いや河村先生、今してもらった治療でその値段は安すぎます」(一字一句ハッキリ覚えている)とスッと100ドル紙幣を出されたことだ。
 どう考えても100ドルの値打ちはなかったろう。〈注意〉新人であったあの当時の治療が、という意味である(笑)。
 あれは前途ある若者、頑張れというエールを込めてくださったのだと思う。

 結局翌日も治療の続きをということになり、その時はピン札の一万円を頂戴しました。
 
 いやー、何と凄い大人(たいじん)なのだ。治療前はもし偏屈ジジイだったら、ちょっと面倒くさいなと思ったが、見事に一本取られました。

 この日を境に、自分も藤田さんのような高潔な人間になりたいと思い、早速上記に述べた心構えを紙に書き、目の前に貼っていつでも見えるようにしておいた。

 ともかくパラグアイでの一番初めの患者さんが藤田公郎さんであったことが、その後の快進撃を呼び込むきっかけになったと思わずにはいられないのだ。

 よく運不運は自分ではどうにもならないという人がいるが、それは違うのではないか。

 所謂ツキの無い人をつぶさに観察すると、その行動がしみったれているというかセコい。みみっちさが同じ穴のムジナに伝染し、回り回って自分に戻ってくるような。
 具体例を挙げると....まあ止めておきましょうか(笑)。

 ふと今どうされているか気になりgoogle で調べたら、昨年ご逝去されたらしい。藤田さんから頂いた名刺の裏には30/04/95と鉛筆の走り書きがある。もう25年経った。

 藤田公郎さん、ありがとうございました。
 遅ればせながらご冥福をお祈りします。 
 合掌。