アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

怪我の功名

この時期のパラグアイは、朝夕は涼しく日中は暖かい、一年で最も過ごしやすい季節だと、個人的に思う。

先週の日曜日、近所の健康公園のベンチに座っていると、5~60代と思しき男性が横に座った。少し脚を引きずって歩いていたので、「股関節の痛み•••ですか」と尋ねた。
ちょっとした挨拶程度のつもりだったが、それがきっかけとなり小一時間話し込む。お互い「股関節」に関しては、一家言を持っていたのだ(笑)。


変形性股関節症という、大腿骨頭と骨盤の受け皿の間にある軟骨組織がすり減ることにより、股関節の可動性が制限される厄介な病気にかかったのは、40代後半だ。原因は分からないが、高校時代柔道の稽古中に、先輩の払い巻き込みをくらい股関節を捻ったことが数度あったから、それが関係していたのかも知れない。

無理して歩くと、股関節周囲の炎症が悪化して痛かった。
数年にわたり様々な対症療法を試みたが、さほど効果がなかったので、50代前半は「面白きこともなき世を面白く」なく、悶々と暗い日々を過ごしていたものである。
だがある日、このまま痛みに耐えつつ、めそめそ泣いて残りの余生を送るのはごめんだ、と吹っ切れたので、人工股関節置換手術を受けることに決めたのだ。

長年苦しんだ末の決断だったこともあり、一片の迷いもなかった。本格的な手術で入院したのは、我が人生でこの時だけだ。

2017年6月17日 アスンシオン。



今では、痛みもなく普通に生活しているし、筋トレも毎日こなせるようになった。ありがとう、現代医学。

大きな決断をする前は、その結果たとえ吉と出ようが、凶と出ようが、どちらでも本望だという境地に辿り着くまで、とことん悩む。それからゴーサインを出す。すると大概のことは上手くいくものである。

霜鳥之彦【魚】 製作年:不明

『徒然草』の中に、「友とするに悪き者」の一つとして「病無く身強き人」が挙げられているのが、興味深い。
確かにやたら健康で能天気な人と一緒にいると、「こいつには人の身体や心の痛みは分からないだろうな」と砂を噛むような思いをすることがあるものだ。その反対に、持病の関節リウマチの痛み具合で、翌日の雨降りを予知できる、などというような人とはやたら馬が合ったりして(笑)。

まあ同病相憐れむというやつだが、自分が長い間苦しみを味わったからこそ、他人の痛みも共感できるようになった、いわば〈怪我の功名〉だ。そうであるならば、長年股関節痛で苦しんだのも、無駄ではなかったと言えなくもないかと、最近になって思うのである。


とここまで書いてきて急に思い出した。そういえば赤ん坊の頃にも入院したことがあったのだ。
今を去ること60年前、急性肺炎で京大病院に担ぎ込まれた。なにぶん生後2ヶ月なので、さっぱり覚えていないが、担当医が母に「(赤ちゃんは)今夜が峠なので覚悟しておいて下さい」と言うほど、緊迫した事態にあったようだ。

おまけに集中治療室の天井板が、自分が寝かされていた保育器のすぐ横に落下したとか。もし仮に数十センチの違いで自分の上に落ちていれば、それこそお陀仏になっていたところだ(泣)。今日であれば管理不行き届きとして、病院側が訴えられそうな出来事だが、当時は「おお、無事で良かった」で一件落着。はっはっは。

1962年12月31日 京都。



強い星の下に生まれたことに感謝しつつ、2023年の後半も「悠々として急げ」と我が道を進んでいきましょうか。