アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

Algo fortuito (偶然の出来事)から筋トレを考察する

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Avda. Santísima Trinidad
 仕事が終わってからジムへ行く。よほど他に用事がない限り、ほぼ毎日行っている。
 私にとってジム通いは、イスラム教徒が一日五回メッカに向かって礼拝するように、趣味というよりは寧ろ信仰に近いものと自負している。

 大体の流れは先ずエアロバイクかエリプティカルマシンで眠気を覚ましてから、ベンチプレスやデッドリフト若しくはスクワットを軸に、補助的な筋トレを加える。最後はブリッジとストレッチで終わる。約一時間。


 たまにトレーニングに行きたくない日もある。五十代後半になると流石に新陳代謝が悪いのか、疲れが取れないのだ。
 そういう時でも「今日はストレッチだけして帰ろう」と、自分に言い聞かせてジムへ行く。
 多少しんどくてもSpotify を聴きながらウォームアップを始めると、やる気のスイッチが入ることが多く、結果的にトレーニングの後で「やっぱり行って良かった」となることが多々あるからだ。まあ一種のトレーニング中毒と言ってよい。


 岡野功先生の『バイタル柔道』に「試合を勝ち進んでくると、観客を含めて一切の外的なものと自己の間に一枚の『膜』のようなものができてくる」という記述があるが、小生もトレーニング中それに近い感覚を抱くことがある。
 ある種のトランス状態のようで、禅や瞑想の究極の境地はこれだろうかと想像するが、この状況に身を置くと、ドーパミンやセロトニンがパァーと出る感じだ。

 そうなるとファッションモデルのNさんが、いつものビキニのようなウェアでヒップアップしようが、クスリで少しイッテるJ 君が、ベンチプレス180キロを叫びながら挙げようが、全く眼中になくなるのだ。
 今日までトレーニングを続けてきた理由の一つは、この快感を味わう為だと思う。

 同世代のアミーゴ達が心ならずもトレーニング界から引退してしまったので、いつの間にか自分一人だけ生き残り、気がついたら浦島太郎化してしまったが、トランキーロ(ドンマイ)である。
 

 そんなある日(四日前 ! )手が滑って20キロのバーベルを足の上に落とした。即これはヤバいと思った。
 本当は痛く感じる筈なのに、痛くない。残念ながらこういう場合は軽傷ではない。
 と言うのは痛みの伝わる仕組みは、電気の流れに似ていて、皮膚にある神経繊維の末端から、電流のように脳に伝わり「痛い」と感じるのだが、時に刺激が大きすぎる場合は、人体がパニックに陥らないよう、その情報伝達を一時的に遮断する事があるからだ。
 つまり「やってしまった」ということである(泣)。

 運動靴を脱ぎ、そうっと親指を触ると本来動かない筈の部位がグラグラしている。「これは折れている」「よし救急病院へ行こう」
 レントゲンの結果やはり親指の骨がスパッと二つに折れていた。勿論痛みは後からちゃんと来た。


 翌日カジッソ先生の診断を受けた。先生は4年前に股関節手術を請け負っていただいた、私が全幅の信頼を置く整形外科医である。

 「骨折は日にち薬なので、足先に負担をかけないよう日常生活を送るように。5~6週間でくっつくよ」と言われた。相変わらず愛想のない男だった。

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 学んだこと) 初心に帰り謙虚な気持ちでトレーニングを再開しよう。骨折が治ったら。