アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

栗村曜似先生

 南半球に位置するパラグアイは現在冬である。日中は気温が30度以上になるが、湿度が低いのと朝夕は涼しいので過ごしやすい。

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Avda. Autopista Silvio Pettirossi

 さて3月半ばから息子(19歳)と始めた自宅トレーニングが昨日で70回目となった。元々コロナ禍でスポーツジムが閉鎖されたので「苦肉の策」として始めたのだが、案に相違してまだ続けている。
 どうやらハマってしまったのか、それとも他にすることがないからか(笑)、お陰様で体調はすこぶる良い。一日おきのペースでやっているのも長続きの秘訣でしょう。
 

 内容を大まかに紹介すると
①ストレッチ
②ウォームアップ(バーベルやダンベル使用)
③腕立て伏せ
④四股とスクワット
⑤腹筋
⑥首
⑦技の研究
⑧懸垂 である。

 ⑦はせっかく鍛えるのであれば何か実戦に役立つメニューを、ということで最近加えたものだ。息子の腕力は既に私より勝っているが、格闘技の経験値の違いでまだ私からタップを奪うことは出来ない。まあ別に自慢することでもないけど(笑)。

 昔立命館大学柔道部で京都府警師範栗村曜似先生の指導を受けた。栗村先生は現役時代警察柔道大会で優勝され、近年全日本の合宿でも技術講師をされるなど、武専(注1)の柔道を受け継ぐ「伝説の名人」である。
 といっても決して堅苦しくなく、気さくで陽気な師匠であった。
 力を出しきれずに試合で負けた時は怒られたが、それでも選手を貶すような事は言われなかった。そして勝った場合は「よし」と笑みを浮かべて褒められたものだ。

 当時先生は五十代後半ではなかったかと思われるが、四年間全く歯が立たなかった。一度その強さはどこからきているのか訊ねたら「ガッハッハ。河村、鍛え方が違う」と言われたっけ。
 私が初めて南米パラグアイへ行く前に報告兼御挨拶に伺ったら「お前の柔道やったら大丈夫」と言われた。
 最後にお会いしたのが確か15、6年前に大津の御自宅を訪問した時だが、その時も隣接の道場で元気に柔道を教えられていた。

 ⑦のトレーニングで息子に三角締めを極めさせていたら段々決まってきて焦ったが、直ぐ「参った」するのは腹立たしいので我慢していたら落ちそう(注2)になった(泣)。
 すると上記の事が走馬灯のように思い起こされたのだ。

 それは多分当時の先生と私の年齢差が、丁度今の私と息子のそれに類似していたからかも知れない。


(注1)  第二次世界大戦前、柔道は東の講道館、西の大日本武徳会と二派あったが、戦後GHQ により武徳会は解散させられ講道館だけが残った。武徳会附属の学校が武道専門学校(武専)。本拠地は京都にあった。

(注2)  締め技で失神することを落ちるという。

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トレーニング無事終了