アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

新たな決意(散歩の効用)

三月から日曜日の早朝はParque de la Saludという公園を歩いている。日本語に訳すと健康(の)公園。家から自転車で5分。

理由は単に今までの自転車トレーニングが飽きたので、散歩に切り替えたのだ。週一だが、それでも3~40分歩いているので、最近足取りがしっかりしてきたことが自分でもわかる。やはり足腰鍛練の基本は歩くことだなと再認識した次第。

こぢんまりした公園だが、樹木に覆われた土の道や勾配の急な坂があり、知る人ぞ知るアスンシオンの隠れた穴場である。ほんまかいな?

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Parque de la salud

ちなみに公園内はWifiが使えるので、この文もその辺のベンチに座わりながら、スマホで書いたのだが、便利な世の中だね、全く。

子供たちが小さい頃は、よくここで遊ばせていたものだ。その後自分が股関節症にかかって、歩くと痛みが走るようになったので、出歩くのが億劫となりいつしか足が遠退いてしまった。
最終的に手術と数ヶ月のリハビリを経て痛みはなくなったのだが、この場所に来るのを何となく避けていたので、数年振りの来園になる。

相変わらず様々な年齢層の健康オタクが歩いたり走ったりしているが、どうやら自分と同年代の50~60歳台が一番多そうである。


さて「馬上・枕上・厠上」の三上(さんじょう)が、いいアイデアの閃く場所だと言ったのは中国・北宋の欧陽修であるが、それに加えて「心地よい音を聞きながら歩く」を入れると良いかも知れない。
というのは、Audibleで笑福亭仁鶴独演会を聴きながら散歩していると、彼の特徴的な声色と口調がBGMとなって、考え事がスムーズにはかどるからだ。

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Parque de la salud 内の「哲学の道」

最近、多くの患者を診ると肉体的にしんどくて、かつ疲れが中々取れにくくなってきたので、もうそろそろこの仕事を辞める潮時ではないかなと悩んでいた。
仁鶴の落語を聴きながら、そんなことを考えて歩いていたら、いや待てよ、殊更自分で問題を難しく捉えているだけではないか、もっと気楽に己の出来る範囲で仕事すればいいだけの話だと気づいたのである。

勿論「エウレーカ!」と裸になって走り回ったりはしなかったが、あの「四角い仁鶴がまるーくおさめまっせぇ」のフレーズが、頭に浮かんだよ(笑)。

仕事でもスポーツでもいつ引退するかという問題は、各人異なって当然だが、自分の場合、北の富士の「横綱は引き際が肝心、スパッと辞めよう」説よりも、サッカーのカズのように最後の最後まで(しがみついて)諦めない姿勢に、どちらかと言えば共感を覚えるというだけだ。


そういえばいつだったか城陽の冝士伯父が、自分の仕事(書道家)は定年がないので幸せだと言ったことがあった。すかさず「伯父さん、仕事を若いうちに辞めて残りの人生を遊んで優雅に暮らすという考えがあって・・・そもそもFIRE とは・・・」とか言い返したことを覚えている。
大方『金持ち父さん貧乏父さん』でも読んでかぶれていたのだろうが、アホな小生は、好きなことを続けられることが嬉しいという伯父の考えが、当時理解できなかった。



先週日曜日の閃き(ひらめき)は、2014年に他界した伯父からの最後の餞別のような気が、どうもしてならない。