「自分の育った国の法律や論理や常識がまったく通用しない不条理な世界。本来、異国とはそういったもののはずだった」(沢木耕太郎)
1986年大学卒業前に友人三名と中国へ行った。当時中国政府の開放政策で少しずつ本土内陸部へも外国人が旅行できるようになり、我々学生の間でちょっとしたブームだったのだ。生まれて初めてパスポートを取った。
香港から陸路で国境を超え、広州を経由して絶景の地・桂林へ。「漓江(りこう)下り」ではあの水墨画の世界を満喫したものだ。 しかし桂林から単独行動する事となった。別に喧嘩別れした訳ではない。訪れたい箇所が各々違っていた為である。
ところがいざ一人になると途端に心細くなった(泣)。そう言えば旅の交渉は全て中国語に堪能な F君に任せていたのだ。「まあ漢字が通じるので何とかなるだろう」と気を取り直した。
ともかく桂林から北京行きの列車に飛び乗り(今年一躍その名を世界に轟かせた)武漢で下車した。丸1日かかった。何故武漢か? 単に武と漢その字面が気に入ったからだ。
あの頃はまだ外国人旅行者が少なかったので物珍しさも手伝い、列車内の同じボックスシートに座った人々から質問攻めに会った。「柏原芳恵 ?」「好 !!」とか。
中国人は同席者によく煙草を勧めるので(30年以上前のことです)、こちらも無下に断るのは悪いなと思い、吸えない煙草を咥えてむせながら筆談した(笑)。「嫌煙権?何やそれ」という感じである。
武漢から上海まで船で3日。初日二段ベッドの上から寝ぼけて床に落ちたので、船内でちょっとした噂になったらしい「日本人がベッドから落ちて大怪我したようだ」と。実際はかすり傷一つしなかったが、噂とは本当にいい加減だな。
船長さんの計らいで二等から特等へ部屋をアップグレードしてもらったというオマケ付きであった。
こうしてメロメロになりながらも、何とか上海にたどり着き、友人三名とも無事再会を果たし、航空会社のオフィスまで出向いてリコンファームを済ませた時は「ああこれで明後日は日本へ戻れる」とほっとしたものだ。
初めての海外旅行で痛感したことは「世界は広くて素晴らしかった」である。何とも陳腐なセリフであるが。
益々未知の国に対する関心が膨らみ、もっと「人間」について深く知りたくなった。一言で言うとハマったのだ。吉田松陰の気持ちが分かる(笑)。
もし仮にこれが、思い出すのも嫌なネガティブな体験であったら、二度と異国に興味を持つことはあり得なかっただろう。と言うことは現在パラグアイで整体師をしている、ということも無かったかも知れない。
今ある自分は、何か運命の結果によるものであると考えるならば、そもそものきっかけはあの中国旅行で受けた〈新鮮でみずみずしい洗礼〉にあった可能性がある、気がするのだ。