アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

健全ないたずらのすすめ

パラグアイでは4月18日からマスクの着用義務が免除されたので、最近では街行く人々のマスク姿は見かけなくなった。

ただ病院やスーパー等では、まだマスクをつける人は多いが、判断が各自の良識に委ねられるようになったのは良いことだと思う。この二年間で小まめに手洗いをする習慣もついたし。

Río Paraguay (Ypané) パラグアイ川(イパネにて)

さて東京で会社勤めをしていた頃、職場近くの有楽町や新橋には、サラリーマン御用達飲み屋(いかにも椎名誠が好きそうな)が多かったので、仕事帰りによく先輩方に誘われて行ったものだ。

サイパンから戻って、先輩の下地(しもじ)さんと行ったのも、いつものそういう店だったと思う。


1980年代後半の二月だったが、下地さんに週末を利用した三泊四日サイパンツアーへ行かないかと誘われたので、「行きます」と答えたのだ。
出来るだけ手軽に行こうと、会社のロッカーで半袖シャツに着替えて、アディダスバッグ一丁で成田へ向かったのだが、いかに気持ちが高揚していたにしても、なんかうすら寒かった記憶がある。まあ飛行機に乗るまでの辛抱だ。

現地のホテルに到着して部屋に入ると、新婚用のでかいダブルベッドがあったので、それで合点がいった。さっきからベルボーイが不審な目付きで、どうもいわくありげだったのだ(笑)。
幸か不幸かお互いノーマルな性的指向の男なので、フロントに言ってシングルベッド二つに変えてもらった。

とにかくこの旅では大いに羽を伸ばし命の洗濯をした。以上。


旅の反省会と称して、ビールを飲みながら焼鳥を摘まんでいたら、隣のテーブルで聞き耳を立てていたOL三人組が、「あの~芸能人の方ですか。もしよければサインをいただけませんか」と話しかけてきた。
どうやら我々を、どっかの役者が庶民的な酒場で一杯やっていると勘違いしたのだろうか。

確かに下地さんは、若い頃の草刈正雄を精悍にした感じのイケメンで、黙っていてもそれ風のオーラがある。小生もサイパンで真っ黒に日焼けしたので、堅気のサラリーマンには見えなかったのかも知れない。

咄嗟に小生は「はあ劇団四季ですわ」と言った。それは「違います」などと野暮なことを言って、にわかファンを幻滅させてはいけないと思ったからだ。「宝塚ですわ」でもよかったが、流石にそこまでは面の皮が厚くなかったので。

「あっいいっすよ」と喜んでサインする我々(笑)。


当時このようなイノセントないたずらを、機会があればしていたが、これは特定の個人を傷つけずに(おっちょこちょい三人組は後で怒るだろうが、それは勘弁してくれ)ドーパミンがパァーと出るのか、毎日がより楽しくなったものだ。
今はこの手の大ぼらを吹いても、スマホで調べると直ぐばれるので、全く世知辛い世の中ではある。

未だに日本へ行ったときに上京する際、浜松町付近から減速する新幹線の窓を通して、新橋~有楽町の高架下を無意識に目で追ってしまうのは、一種のノスタルジーというやつだろう。




「SNS のせいでお前ら他人をディスっても顔面にパンチ食らわない環境に慣れすぎている」マイク・タイソン(先日機内で執拗に絡んできた男を速攻で殴り倒した)

新たな決意(散歩の効用)

三月から日曜日の早朝はParque de la Saludという公園を歩いている。日本語に訳すと健康(の)公園。家から自転車で5分。

理由は単に今までの自転車トレーニングが飽きたので、散歩に切り替えたのだ。週一だが、それでも3~40分歩いているので、最近足取りがしっかりしてきたことが自分でもわかる。やはり足腰鍛練の基本は歩くことだなと再認識した次第。

こぢんまりした公園だが、樹木に覆われた土の道や勾配の急な坂があり、知る人ぞ知るアスンシオンの隠れた穴場である。ほんまかいな?

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Parque de la salud

ちなみに公園内はWifiが使えるので、この文もその辺のベンチに座わりながら、スマホで書いたのだが、便利な世の中だね、全く。

子供たちが小さい頃は、よくここで遊ばせていたものだ。その後自分が股関節症にかかって、歩くと痛みが走るようになったので、出歩くのが億劫となりいつしか足が遠退いてしまった。
最終的に手術と数ヶ月のリハビリを経て痛みはなくなったのだが、この場所に来るのを何となく避けていたので、数年振りの来園になる。

相変わらず様々な年齢層の健康オタクが歩いたり走ったりしているが、どうやら自分と同年代の50~60歳台が一番多そうである。


さて「馬上・枕上・厠上」の三上(さんじょう)が、いいアイデアの閃く場所だと言ったのは中国・北宋の欧陽修であるが、それに加えて「心地よい音を聞きながら歩く」を入れると良いかも知れない。
というのは、Audibleで笑福亭仁鶴独演会を聴きながら散歩していると、彼の特徴的な声色と口調がBGMとなって、考え事がスムーズにはかどるからだ。

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Parque de la salud 内の「哲学の道」

最近、多くの患者を診ると肉体的にしんどくて、かつ疲れが中々取れにくくなってきたので、もうそろそろこの仕事を辞める潮時ではないかなと悩んでいた。
仁鶴の落語を聴きながら、そんなことを考えて歩いていたら、いや待てよ、殊更自分で問題を難しく捉えているだけではないか、もっと気楽に己の出来る範囲で仕事すればいいだけの話だと気づいたのである。

勿論「エウレーカ!」と裸になって走り回ったりはしなかったが、あの「四角い仁鶴がまるーくおさめまっせぇ」のフレーズが、頭に浮かんだよ(笑)。

仕事でもスポーツでもいつ引退するかという問題は、各人異なって当然だが、自分の場合、北の富士の「横綱は引き際が肝心、スパッと辞めよう」説よりも、サッカーのカズのように最後の最後まで(しがみついて)諦めない姿勢に、どちらかと言えば共感を覚えるというだけだ。


そういえばいつだったか城陽の冝士伯父が、自分の仕事(書道家)は定年がないので幸せだと言ったことがあった。すかさず「伯父さん、仕事を若いうちに辞めて残りの人生を遊んで優雅に暮らすという考えがあって・・・そもそもFIRE とは・・・」とか言い返したことを覚えている。
大方『金持ち父さん貧乏父さん』でも読んでかぶれていたのだろうが、アホな小生は、好きなことを続けられることが嬉しいという伯父の考えが、当時理解できなかった。



先週日曜日の閃き(ひらめき)は、2014年に他界した伯父からの最後の餞別のような気が、どうもしてならない。

成功の法則

Parque Guasu 朝から暑い
 今年一月はパラグアイ史上最高ではないかと思うほど暑かった。連日40度を越える猛暑にほとほと参り、仕事も手につかなかったほどだ。二月も焦熱地獄。
 そして三月に入ってからどうかというと、相変わらず暑い。しかし身体がもう気候に慣れたのか、体調はぼちぼちである。慢性関節炎には良いのかも(笑)。


 以前ある男に「先生も(私のこと)、若くて綺麗な女性が患者として来るとやっぱり嬉しいでしょう」と言われた。某日本大使館で何かのパーティーの席上だったと思う。

 地元日系人社会の顔役らしいが、初対面の相手に向かって話す切り出し方としては、いささかリスペクトに欠けるなと思ったので、わざと聞き流していた。しかし奴さんひつこく「本音はどうです」と絡んでくる。何やねんこいつは。

 こんな無神経の卑しい人間にも妻子がいるのだろうなと想像すると哀れに思ったが、まあ赤の他人なのでどうでもいいことだ。仕方なく「患者の老若男女は全く気になりません。何人であれ常識のある人であれば結構です」と言った。

 小生とて無論聖人君子ではないが、こと仕事に関する限り、上述のスタンスだ。閑話休題。

 

二月某日の午後
 
 南米パラグアイのアスンシオンで、30年近く整体治療に携わってきた。その間成功や失敗を含め幾多の経験を積み重ねていく中で、〈無心の境地まで到達すること〉が治療における成功法則の一つではないかと思うようになった。

 それは治療を進めていく中で、これはよくなるぞと確信する時があるのだ。頭の中にインプットされた過去の様々な症例に接した対処法のエッセンスが、ふとビンゴ ! と出てくると言おうか、それとも内なる声がささやくのかは分からないが。当然その時は雑念は消えていて、五感も冴え渡っているのが普通だ。

 柔道で相手をスパッと放った瞬間など、その前後の動きを覚えておらず、後から考えると勝手に身体が動いていたという状況があるが、それに近いのかも知れない。
 
 すると治療の結果も大概満足のゆくものになる確率が非常に高い。この無心の境地は勝負事や他のビジネスでも同様に力を発揮するだろう。

 ただ世の中例外のない規則はないように、いかに自分では最高の治療ができたと思っても、効果が得られず痛みが取れないケースもある。その時はどうするか ?
 そういう場合は「過去を反省するのはよいが、引きずってはならない」と将棋の米長邦雄が言っていたように、また明日から頑張ろうと割り切るのみだ。


 自分の課題に誠意を持って取り組み、目の前にある山を越えてその向こう側へたどり着こうと頑張った者に対して、100%とは言わないが、かなりの高確率で我々に微笑んでくれる〈成功の法則の神さま〉が、この世には存在するような気がするのである。

 

 
 

旅は道連れ世は情け

 南米諸国に限って言えばコロンビア、ベネズエラ以外の国は、全て訪れたことがある。特にアルゼンチン、ブラジルは、パラグアイに隣接していることもあって何度も行ったものだ。

 昔から旅が好きだったが、その理由は〈旅=非日常に身をさらすこと〉には知らず知らずに溜まった日々の疲れを取り除くメタンフェタミン効果のようなものがあるからだ。バッテリー残量の少なくなったスマホを再び充電させるような感覚に近い。
 帰る場所があるからこそ旅は楽しめるのだと、誰かが言っていたが、それも的を射た見解だと思う。
 

 かの有名なマチュピチュ(ケチュア語で「老いた峰」標高2,430m)を訪れた時はこれは凄いなと思ったが、隣にそびえるワイナピチュ(ケチュア語で「若い峰」標高2,693m)に登った苦行は、頭の中にくっきりと残っている。
 どうせ観光地内にある山登りなので大したことはないだろうと軽く考えていたが、とんでもない ! ハードルが高かった。

 先ず一日の入山制限があったので(200~400名)早朝五時の開門にあわせて並ばなければいけないし、その際名前やパスポート番号を記帳する必要もある。「山に登ったきり行方不明になる人っているんですか」と受付の人に聞いたら、「Sí, de vez en cuando(ああ、時々いるよ)」とのこと。えっ大丈夫か?

 うっかり足を滑らせて下界に転落死する事故がちょくちょくあるらしい。なにぶん登山道が細く、一部ロープを使ってよじ登る箇所があったり、そのすぐ横が絶壁だったりとかなり本格的なプロ用ルートである。登山参加者の格好を見てもそれなりに気合い十分な装備の人が多い。
 それに比べてこちらは70年代半ばの部活の高校生のようなアディダスのボストンバッグ一つである。


 やっぱりワイナピチュなどに登るのは止めようか、元々山登りは大して好きでもなかったし、こんなところで死んでは元も子もないではないかと、いつもの酸っぱい葡萄のイソップキツネ的思考が湧いてきた。

 その時後ろに並んでいたセニョリータに「Hola (オラ)、私のこと覚えている?」と言われたので少し驚いた。が直ぐ思い出すことができたのは、三日前のクスコ(マチュピチュ観光の基点となる街)市内観光ツアーで同じグループだった笑顔の美しいお姉さんが、テレノベラ女優アンドレア・ロペス(だったかな)に似ていたので、覚えていたのだ。

 すると先ほどまでの「僕やっぱり山登り止めます」はどこへやら、一転して彼女の露払い役を買って出た。
 
 途中数ヶ所でスニーカーが崖の際にきれいに揃えて置いてあったのを見た。気をつけて歩かないと危ないという警告なのか、若しくは自殺願望の人が初志貫通した現場なのか、もう一つ意味が分からなかった。別に知りたくもないが。(2008年当時)

 結果小一時間で何とか登頂できた。もし自分一人であれば十中八九山登りは断念していただろうから、彼女には感謝してもし足りないくらいだ。

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Wayna Pikchu (Huayna Picchu)

 とにかくワイナピチュから見下ろすマチュピチュの全貌は最高だった。これはおすすめである。

 もう一つ蘊蓄を傾けると、マチュピチュ観光に必要なチケット等は、インターネットで事前購入すると思いの外高額なのだが、クスコ市内の旅行代理店をぶらぶら探すと案外手頃な値段で買えるのだ。参考までに。


 「記憶は脳の一部に貯蔵されているのではなく、思い出す瞬間に毎回再構築される」(ノーベル賞を受賞した神経学者ジェラルド•エデルマン博士)とすれば、旅先での予想外のハプニングを自分でははっきり覚えているつもりでも、記憶を引っ張り出す度に、その都度自分に好都合なバージョンに塗り替えられている可能性は大いにある。
 よって上記のマチュピチュ紀行も話半分に聞かれたし。なにぶん十三年前のことなので。
 

君はマッスル北村を知っているか

 パラグアイ・アスンシオンで整体治療に携わって26年。
 開業したての頃は患者が増えたり減ったりする度に一喜一憂していたものだ。しかし今は患者が少なければ少ないで、自分用の時間がそれだけ持てるのでよし。反対に患者が多くなればなったで商売繁盛笹持ってこい!と考えるようになった。
 このように思考が老荘思想っぽくなったのは、長年仕事に励んでいるうちに自信がついたからだと思う。


 先日ボディビルダーがやって来た。仮にA君としましょうか。トレーニングのやりすぎか知らないが、身体がガチガチに硬い。そんなに固いと呼吸もしにくくなり身体はいつまでたってもゆるまないので、このタイプは治療効果もさほど上がらないのだ。
 
 A君がアドバイスをくれと言うので、「もっと前腕やふくらはぎを鍛えたらどうか。マッスル北村のように」とスマホでその画像を見せた。本当は脳ミソを鍛えろと言ってやりたかったが、流石にそれは言えない。

 何故ならばがっちりした前腕部やカーフを獲得するのは、かなり密度の濃いトレーニングを根気よくこなさなければならない。それ位筋肉がつきにくい部位なので、ここが発達しているビルダーは一目置かれるのと、30数年前に遭遇したある光景が未だに脳裏に焼き付いているからである。

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毎度お馴染み Parque Guasu Metropolitano

 東京地下鉄湯島駅のホームで偶然見かけた若者は、漫画のポパイがそのまま歩いているようだった。異様にバルクアップした身体にびっくりさせられたが、それにも増して前腕部がやたらでかかったので、思わず声をかけた。
「北村さんですか」「はいそうです」
 それが伝説のボディビルダー北村克己氏(マッスル北村)と一瞬交差した貴重な数秒間だった。

 その当時通っていた文京区立体育館のインストラクター菅井さんが、ことあるごとに「北村は凄い。ボンレスハムのような腕をしている」と言っていたので、「あ、この男か」と気づいたのだ。
 ボディビルダーの中には得てして自己中心的ナルシストで、他人に横柄な態度で接する野郎もいないわけではないが、北村氏はとても丁寧な口調で腰も低かった。
 

 「死ぬ気でトレーニングしてみろ。やり過ぎて死ぬことなどないから」と軽々しく口にする人がいるが、この言葉が当てはまらなかったのがマッスル北村である。
 2000年8月凄まじいトレーニングと過酷な減量による低血糖症で亡くなった(享年39歳)。

 天才と○○は紙一重というが、常人の尺度では計り知れないこの鉄人の生きざまを考えると、「人生は量ではなく質である」としみじみ思うのだ。有難う。


 「限界だと思い知らされた時から本当の戦いが始まる。『もう一歩だけ頑張ってみよう』という心の叫びに正直に生きようと努力するほど、最後に笑って死ねる人生があると信じています」北村氏が中学生向きの講演のために書かれた原稿(東京新聞2020年10月1日記事より無断拝借しました)より。


 追記) 『CLUB紳助』というテレビ番組に北村氏がゲスト出演した回がある。紳助は私の嫌いな芸人ナンバーワンだが、その彼ですら北村氏の穏やかで自信に満ちたペースに巻き込まれて、ゲストに対するリスペクトや憧れが感じられるほのぼのとした内容に仕上がっている。
 you tube で観ることが出来るので機会があれば是非観てほしい。


 
 
 

社会通念(暗黙のルール)論

 パラグアイはじめ南米諸国では、見た目で人を判断し、それで応対がガラリと変わることがある。

 もし銀行やレストランで不愉快な扱いを受けたくなければ、きちんとした格好で行く方がいい。草履よりも靴を履いて行った方が無難だ。南米はラフなイメージがあるかも知れないが、案外身だしなみや足元はシビアな目で見られるのだ。

 それが現地の社会通念(暗黙のルール)なので、「何故か?」と言われても「そういうものだ」としか言いようがないが、これも国によって若干温度差はあり、一例をあげるとパラグアイとアルゼンチンでは、一昔前まで後者の方がより厳しかった印象がある。

 多分それはアルゼンチンは、国民の殆どが数世代前にヨーロッパ(特にイタリアやスペイン)から移民してきた子孫で成り立っているので、昔のヨーロッパの悪しき階級社会の影響を強く受けているのに対し、パラグアイは国民の90%がインディヘナとスペイン人の混血(メスティーソ)で構成されているため、旧世界の価値観がそれほど地元文化に浸透しなかったからではないかと勝手に憶測する。

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Parque Guasu

 30年前初めてブエノスアイレスを訪れた際、イカゲームみたいなジャージを着てタンゴショーを観に行った(泣)。あの時の居心地の悪さは、ほぼトラウマになりかけたが、京都の「ぶぶ漬けいかかどす」と言われて空気の読めない人が「はあ、いただきます」と言った時に、両者が陥る気まずさに少し似ているかも知れない。
 一言京都の名誉のためにいえば、本当はお茶漬け伝説は存在しない。しかし京都人に物事をはっきり言わぬ腹黒い奴が多いのは事実だ。統計を取った訳ではないが。
 

 畢竟、外国で生じる誤解というものは、言葉による意志疎通が困難だからというよりも、その社会通念から外れた行動をとることによって起きる確率が高いというのが、小生の長年にわたる南米生活から得た結論だ。

 たとえ好き嫌いはあっても、どこの社会通念が優れているとか劣っているとかではなく、国が違うとその価値観は変わるのだということを、頭の片隅に置いておく。すると異文化の中でも「郷に入っては郷に従え」と柔軟に対処できるものである。
 


 インターネットを観ていたら、へずま某とかいう山口県防府市出身の迷惑系 you tuber (そんな職業あるのかね笑)を見つけた。食料品店でお金を払う前に商品を食べるところを動画に投稿する筋金入りの迷惑者のようだ。

 しかし彼の悪行よりもうんざりしたのは、SNS 上のコメント欄で誹謗中傷を展開する連中である。これは世界中のあらゆるネット環境に存在するゴキブリ現象だ。
 そもそも実名者を匿名で非難することが卑怯だし、その低能な論法は、〈お代官様の悪行には口をつぐむが、百姓が藁を一本盗んだ場合は容赦なく責める〉的な不公平さを感じる。


 パラグアイでもスーパーのレジで精算する前に、商品を開けてボリボリ食う本家本元「へずま」たちが多い。最初目の前で見せつけられた時はびっくりしたものだ。まあ赤の他人なので放っておくが、実の息子であれば張り倒してやるところだ。

 仮に防府のへずま某やネット弁慶たちがパラグアイに住めば、前者は平穏無事に過ごせそうだし、後者からはもう少し多様性に富んだ奇抜な意見が出るのではないかと思うと残念である。
 但し彼の迷惑系 you tube は、当地ではインパクトに欠けるのでバズらないと思うが。


 
 

副業をぶっ壊す(立花某とは関係ありません)

 近頃コロナが下火になってきたせいか、患者が増えてきた。

 まことに有難いことだが、数年前から一日に診る患者数を五人までと制限しているので、飛び込みの人に対して今日は既に予約が一杯でと断ることもままある。

 開業当初は飛び込み患者を断ることは滅多になかった。目の前のチャンスを逃すなという訳でもないが、無理してでも何とかやりくりして診ていたものだ。
 治療する者がそれをこなす体力があれば別に構わないが、私の場合は5~6年目に疲れて次第に手抜きするようになった(正直者なので告白しますが)。

 「治療家は最高の治療を施す義務がある。患者はそれを受ける権利がある。治療は金儲けではない」という古賀正秀先生の考えに感銘を受け、少しでもその域に近づきたいと思っていたが、どうも違う方向を歩んでいることに気づいてがっかりした。古賀先生はオステオパシーの第一人者である。


 己の健康を犠牲にしてまでの、患者(若しくは金儲け)第一主義はアホかと思うが、治っても治らなくても自分が納得のいく治療を施したい。それは誠意というものだ。
 だが私がしたい治療法は、一言で言うと経済効率性が悪い。無論お金がなくてピーピーするのは困るので、何か別の方法で利潤を追求しようと考えた。

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Asunción Super Centroを臨む

 そこで思いついたのが不動産投資である。

 今まで関わったことのない分野だ。パラグアイの商慣習は日本とは異なるだろうし、ぽっと出がうまくいくほど甘くないのは承知の上だが、よく考えれば誰でも初めは新人なのだ。過度に気後れすることは百害あって一利なしだろう。

 2021年現在のパラグアイ不動産市況は、先行き不安なアルゼンチン資本の投資先として人気が集中しており、首都の地価は軒並み高騰している。
 よって個人レベルの投資家が大勝ちするのはかなり厳しい状況だが、二十数年前、不動産投資はまだメジャーな存在ではなく、素人でも掘り出し物(件)をアスンシオン市内で見つけることは可能だったのだ。
 
 何とかかき集めた15,000ドルで購入した土地を、三年後35,000ドルで売却した(2006年)。今度はその利益を元手に別の優良物件を探すというやり方である。

 本契約の前に公証人の元で仮契約を結ぶが、その時買主は売買総額の10~15%を前金として売主に払う。本契約まで3か月以上かかるが、もし途中で気が変わって契約を解消したい場合、それが買主であれば前金は相手に流れるし、反対に売主であれば前金×2(20~30%)を買主に払わなければならない。これは中々よくできたシステムだと思う。


 ひょんなことから知り合った仲介業者Nさんと馬が合ったことや妻の内助の功、小生の冷静な判断等プラス要因が重なり、思った以上の利益を上げることができた。

 最終収益はいくらかって?それはともかく(笑)。よしこれからは不動産一本で行こうかと思ったこともあった。·····が結局やめた。

 その理由は私を含めて博打にすぐ熱くなる人間ほど、ヘタを打った場合、その反動が強く強烈な精神的打撃を受けるだろうとビビったのが一つと、もう一つはこの仕事をとことん極めてやるとまでは情熱が湧かなかったからである。

 そういえば強盗団の糞野郎どもに頭と脇腹に銃を突きつけられ殺されかけたのも、必然か偶然か、治療と不動産の二刀流でバタバタしていた前後だった気がする。

 人には各々向き不向きがあり、一つの仕事に打ち込んで力を発揮するタイプもあれば、複数の仕事を掛け持ちして活躍するタイプもある。どちらが良い悪いでなく、自分の場合強いていえば前者かなというだけの話だ。


 今は本業一本で夜ぐっすり寝ているので、人生万事塞翁が馬ということでしょうか。


 了