アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

旅は道連れ世は情け

 南米諸国に限って言えばコロンビア、ベネズエラ以外の国は、全て訪れたことがある。特にアルゼンチン、ブラジルは、パラグアイに隣接していることもあって何度も行ったものだ。

 昔から旅が好きだったが、その理由は〈旅=非日常に身をさらすこと〉には知らず知らずに溜まった日々の疲れを取り除くメタンフェタミン効果のようなものがあるからだ。バッテリー残量の少なくなったスマホを再び充電させるような感覚に近い。
 帰る場所があるからこそ旅は楽しめるのだと、誰かが言っていたが、それも的を射た見解だと思う。
 

 かの有名なマチュピチュ(ケチュア語で「老いた峰」標高2,430m)を訪れた時はこれは凄いなと思ったが、隣にそびえるワイナピチュ(ケチュア語で「若い峰」標高2,693m)に登った苦行は、頭の中にくっきりと残っている。
 どうせ観光地内にある山登りなので大したことはないだろうと軽く考えていたが、とんでもない ! ハードルが高かった。

 先ず一日の入山制限があったので(200~400名)早朝五時の開門にあわせて並ばなければいけないし、その際名前やパスポート番号を記帳する必要もある。「山に登ったきり行方不明になる人っているんですか」と受付の人に聞いたら、「Sí, de vez en cuando(ああ、時々いるよ)」とのこと。えっ大丈夫か?

 うっかり足を滑らせて下界に転落死する事故がちょくちょくあるらしい。なにぶん登山道が細く、一部ロープを使ってよじ登る箇所があったり、そのすぐ横が絶壁だったりとかなり本格的なプロ用ルートである。登山参加者の格好を見てもそれなりに気合い十分な装備の人が多い。
 それに比べてこちらは70年代半ばの部活の高校生のようなアディダスのボストンバッグ一つである。


 やっぱりワイナピチュなどに登るのは止めようか、元々山登りは大して好きでもなかったし、こんなところで死んでは元も子もないではないかと、いつもの酸っぱい葡萄のイソップキツネ的思考が湧いてきた。

 その時後ろに並んでいたセニョリータに「Hola (オラ)、私のこと覚えている?」と言われたので少し驚いた。が直ぐ思い出すことができたのは、三日前のクスコ(マチュピチュ観光の基点となる街)市内観光ツアーで同じグループだった笑顔の美しいお姉さんが、テレノベラ女優アンドレア・ロペス(だったかな)に似ていたので、覚えていたのだ。

 すると先ほどまでの「僕やっぱり山登り止めます」はどこへやら、一転して彼女の露払い役を買って出た。
 
 途中数ヶ所でスニーカーが崖の際にきれいに揃えて置いてあったのを見た。気をつけて歩かないと危ないという警告なのか、若しくは自殺願望の人が初志貫通した現場なのか、もう一つ意味が分からなかった。別に知りたくもないが。(2008年当時)

 結果小一時間で何とか登頂できた。もし自分一人であれば十中八九山登りは断念していただろうから、彼女には感謝してもし足りないくらいだ。

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Wayna Pikchu (Huayna Picchu)

 とにかくワイナピチュから見下ろすマチュピチュの全貌は最高だった。これはおすすめである。

 もう一つ蘊蓄を傾けると、マチュピチュ観光に必要なチケット等は、インターネットで事前購入すると思いの外高額なのだが、クスコ市内の旅行代理店をぶらぶら探すと案外手頃な値段で買えるのだ。参考までに。


 「記憶は脳の一部に貯蔵されているのではなく、思い出す瞬間に毎回再構築される」(ノーベル賞を受賞した神経学者ジェラルド•エデルマン博士)とすれば、旅先での予想外のハプニングを自分でははっきり覚えているつもりでも、記憶を引っ張り出す度に、その都度自分に好都合なバージョンに塗り替えられている可能性は大いにある。
 よって上記のマチュピチュ紀行も話半分に聞かれたし。なにぶん十三年前のことなので。