アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

少し黙ってもらえませんか

 今月第一日曜日から夏時間(サマータイム)になったので、時計の針を一時間進めた。パラグアイと日本の時差は十二時間である。

 下院議会で今回の時間変更を最後にこれを標準時とする法案が通過した。上院でもこの法案が可決されれば時計の針を半年毎に進めたり遅らせたりする必要が今後なくなるという訳だ。
 個人的にサマータイム制度は嫌いではない。というのは普段滅多に行わない壁時計の掃除をついでにするからという些細な理由によるものだが。
 

 以前油絵教室へ通ったことがある。毎日仕事と子供の学校の送り迎えで生活リズムが単調になりがちだったので、家人の勧めもあり始めたのだ。2013年のことである。

 H先生には一から丁寧に教えていただいた。後に先生がパラグアイ画壇での第一人者であることを知った。

 節度ある会話が人間関係の潤滑油の役割を果たすことについて全く異論はないが、それ(の垂れ流し)が延々と続く場合や内容があまりにも下らない場合(誰かが不倫したとか何とか)は問題である。勿論下る、下らないの基準は各人違うが。

 教室内には駄弁をこよなく愛するおばさんグループがいて、正直これには参った。煩くて絵を描くことに集中できなかったからだ。

 「少し黙ってもらえませんか」と何回言いかけたか。だが新参者が如何にオブラートに包んで言ったところで、言ったが最後当方の居心地が益々悪くなる事は想像に難くない。これはパラグアイでも日本でも同じだろう。

 対抗策としてヘッドフォンをつけながら絵を描いていた。おかげで ”今日にかぎって安いサンダルをはいてた~” ( 松任谷由実の『DESTINY 』より )が今でも頭の中で反響している(笑)。

 たまにボス猿(失礼)と取り巻きが休むと、絵に没頭でき充実した時間を過ごせたものだった。

 しかし油絵教室は結局一年しか続かなかった(いや一年も続いたと言うべきか)。
 教室をやめた真の理由は、件のおしゃべりでやる気を削がれたからでなく(それも少しはあるが)、そもそも自分の絵に対する思い入れがさほど強くなかったからだ。

 どうやら快川和尚のような「心頭滅却すれば火も自ら(亦た)涼し」の境地には到達しなかったが、到達しなくて大いに結構。「趣味や勉強は自分が楽しければ続けるし、嫌ならばやめればいい」それだけのことではないか。気楽に考えよう。

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みかんに見えるか林檎に見えるか?

「凡そ趣味などは老人になってから持てばいい、退屈な時間を悶々と過ごすことこそ若者の特権である」 『バーボン・ストリート』沢木耕太郎