アスンシオンカワムラ新聞

パラグアイで整体治療に携わっています。日々思ったことを綴ります。

太平洋横断航海記

 船で北米へ行ったことがある。

 当時勤めていた海運会社に「乗船研修」という制度があったのだ。

 その趣旨は現場の船舶運航を体験することにより、会社組織の一員としての意識を高めるとか云々。
 だが当の本人は研修とは言え船に乗ってアメリカへ行けるのは楽しいだろうな位の感覚で、至って呑気なものであった。1987年の夏だ。
 
 『EASTERN ROYAL』号は鉱石や木材用のコンテナ船で、近くで見ると青函連絡船級の大きさだったので驚いたことを覚えている。
 それを日本人とフィリピン人約20名のクルーで動かすのである。

 大阪南港を出港し日本海を回ってシアトルまで二週間以上かかった。それプラス現地での荷下ろしと荷積みに一週間、復路も20日程として約一ヶ月半に及ぶ研修であった。
 
 当時の資料や写真が手元になく残念だが、未だに印象に残っていることが幾つかある。

 例えば、
①乗組員の仕事は0時~8時、8時~16時、16時~24時の三交代制で組まれ、船は一刻も休むことなく運航される。勿論甲板や船倉の掃除は日中である。
 皆さん8時~16時のシフトが良いと言っていた。やはりそうだろうな。
 

②船内の食堂のテーブルの縁には、2センチ程の出っ張りが巡らせてある。
 大波で船が傾いた時に食器や備えの調味料が落ちない為の工夫由。

 食堂は日本人用とフィリピン人用の二ヶ所あったので、何故かと聞くと自分の国の料理を食べて同胞と駄弁る方が、長い航海中ストレスが溜まらないからだとか。
 フィリピン料理はナイフを使わず、スプーンとフォークで食べるのだが、ナシゴレン、ミーゴレンのインドネシア料理ともまた違う。旨かった。

③出港して30分、淡路島を横目で見ながらゲロを吐いてしまった。
 瀬戸内海でこのザマでは太平洋に出たらどうなるかと流石に心配し、次の寄港地直江津で下船させてもらえないかとまで思った(泣)。
 まあ勝海舟が咸臨丸で味わった疑似体験をしたということにしておきましょうか。

 ④太平洋に出て360度全方位が水平線という、映画『タイタニック』さながらの風景に息をのんだ。水平線は微かに曲線で、やはり地球は丸いのだなと実感したことに感動。
 ずっと見ていても飽きない、と思いきや二三日するともう感動もなくなり、陸が懐かしくなったので苦笑したものだ。
 
⑤船員はパスポートではなく船員手帳で外国へ行く。
 米本土入港前に現地の水先案内人が船に乗り込み諸手続きを済ませる。その彼の小船に乗せてもらい一足早く上陸した。
 「一週間後には船に戻ってくるように」「分かりました」と気楽に下船したが、ここの人達皆英語を喋っているので、最初何を言っているのかさっぱり分からず戸惑った(笑)。

 ⑥八月のシアトルは湿気もなく快適な気候で、とても綺麗な街であった。
 現地駐在員の松野さんにゴルフ場へ連れていってもらったのも良い思い出だ。ゴルフ自体はさっぱり面白くなかったが。
 街ですれ違う若い娘さんも一様に愛想がよく「ハーイ !」とか声をかけてくるので、余計に好印象を持った等。

 偶然日本以外の土地を見たことで、もっと深く世界を知りたいものだという欲求が湧き、延いてはサラリーマンを辞めて、今日に続く道を歩み出す一つのきっかけになったと思っている。

 会社側からすれば「ミイラ取りがミイラになった」と言えなくもないが、それは仕方ない。勘弁してもらおう。

 先日来た患者がフィリピン・セブ島出身だと言うので Magandang umaga (タガログ語でおはよう)と挨拶したら、大いに喜ばれて海の話で盛り上がった。
 そして当時の「研修」が懐かしく思い出されたのである。

 
 了